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YURA表現プログラム



■第一章
 「表現との出会い」
■第二章
 「人生の役割を演じる」
■第三章
 「生死を彷徨う」
■第四章
 「パニック症」
■第五章
 「内観」
■第六章
 「未来の自分」
■第七章
 「自分らしく生きる」
■第八章
 「大いなる自己への道」
■あとがき
 「感謝を込めて」

〜YURA表現プログラム誕生物語〜
第一章 「表現との出会い」

今、私は「表現」を教え、多くの人の自己改革のサポートや
コミュニケーション能力向上の為の講座やワークショプを開催しています。

多くの受講生が、どんどん魅力的に変化し、コミュニケーション能力も向上し、
自己表現力を身につけ、日々素敵に輝いていきます。

こうして指導していると、さぞかしコミュニケーションが得意なのだろうと思われがちですし、
受講生にも「どうしてそんなに生徒の気持ちや方法がわかるのですか?」
と、よく質問されます。

が、実はまったくその逆で、当の私自身は長い間、
コミュニケーションの方法が分からない為もがき続け、
それでも方法が分からず多くの人間関係を壊してきました。

私は凡人の代表だと思っています。
何故なら凡人が経験するほとんどの事を同時に一気に経験させられたからです。

受講生が抱えているほとんどの問題は、
私自身が答えを求め苦しんできた問題ばかりなのです。

波乱万丈の人生の過程で、長い間、本当に長い間、
どうすれば自分を変えることが出来るのか、
どうすれば円滑なコミュニケーションが出来るようになり、
より良い人間関係を築いていけるのか、方法が分からず、
一向に答えを見出せないまま、一人でもがき続けていました。

女優を目指して上京する前までの私は、
自分の中に「爆弾」のようなものがあると感じていました。

今思うと、きっとそれは、
思春期に誰もが多かれ少なかれ感じるものだと思いますが、当時の私にとって
その「爆弾」は早く外に投げなければ、自爆するしかないとずっと思っていました。

男女の違いや国籍の違いなど「違い」に対する過敏な反応、
皆と同じ生き方を強いられることへの抵抗と反発心、
差別する側の卑怯さや、また逆に差別される側の極端な被害者意識に対する嫌悪感等、
自分ではどう抑えていいか分からない、
どこにぶつけていいか分からない塊のようなものを常に感じていました。
でも誰にも言えず、一人でそれらを心の中に抱き抱えていい子を演じていました。

ところが、そんな私が親の反対を押し切って上京し、
表現と出会ってからは、まるで爆弾が外に向かって投げられたかのように、
何かが一気に弾け開放されていったのです。

いい子でいた大阪での高校までの生活とは一変し、まったく人目を気にしない、
限りなく自由に自分を表現して生きる、そんな生活が始まりました。

頭のてっぺんから、つま先まで、私が私として存在しているという最高の喜びを、
「表現」を通して、日々体感していました。

不思議なことに、自由に自分らしく生きていたその時期こそが
私の人生で唯一人間関係がうまくいっていた時でした。

だから当時の私は自分が「表現」の世界から離れる時が来るなんて
想像も出来なかったのです。


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