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YURA表現プログラム



■第一章
 「表現との出会い」
■第二章
 「人生の役割を演じる」
■第三章
 「生死を彷徨う」
■第四章
 「パニック症」
■第五章
 「内観」
■第六章
 「未来の自分」
■第七章
 「自分らしく生きる」
■第八章
 「大いなる自己への道」
■あとがき
 「感謝を込めて」

〜YURA表現プログラム誕生物語〜
第三章 「生死を彷徨う」

笑う事を忘れがむしゃらになっていた私に突然病は訪れました。

生徒の舞台公演の前日、リハーサル中に倒れ、
3日間集中治療室。
手足が麻痺。呂律が回らず、このまま脳の出血が止まらなければ手術になる。
脳の手術の成功確立は、50%
例え手術が成功したとしても、車椅子の生活になって後遺症が残ると、宣言されました。

朦朧とした意識の中で、私は傍に来て下さった神様とお話をしました。
「私は<表現>を通して、やっと不登校の子たちのレッスンをするようになったばかり、
その子たちが、すごい勢いで成長しています。
約束したんです。発表会をするって。
そして、私は<表現>を通して、人の役に立つ仕事を
まだたくさんやり残しているんです。
その仕事は、何があっても続けます。
もし、続けた方がいいと思ってくださるならお願いです。
身体と声を元に戻して下さい。
その代わり今度こそ、本当に生まれ変わって人の役に立ちます!!」
と約束しました。

そしたら3日後に奇跡が起こったのです。
手が上がった!!動かなかった手が動いたのです!!
先生に「動きました!」と叫んでいました。
先生も驚き、気付いたら
病院中のインターンの方たちが、私の周りをかこんでメモをとっていました。
皆、一斉に驚いた表情で私をみつめていました。

2〜3日も、朦朧とした状態が続いた後に、
突然意識が戻り、手が動き出すといういことは、
かなり奇跡的な事らしいんです。
もし、あのまま家に帰っていたら・・・。
もし、あの時、私の異変に気付いてくれる人が傍にいなかったら・・・。
もし、私の車を運転してくれる生徒がいなかったら・・・。
そして、その生徒が唯一知っている病院が、たまたま
脳外科では専門だと言われている病院でなかったら・・・。

あの時、救急車で運ばれた患者は、ベッドの数がないという理由で、
すべて断られていたらしいんです。
でも、受付で、みるみる顔がゆがみ、よだれがたれ、
手足が動けなくなっていく目の前の重症患者を見てしまったら、
さすがにそのまま返すわけにはいかなかったのでしょう。
仕方なく病院が受け入れてくれました。

・・・何もかもが、
もう一度生かされるために計画されたとしか
思えないことばかりでした。

一度は無くしかけたこの「命」。
今度こそ、本当に生まれ変わって、人のお役に立とう!
ゼロからやり直そう!

それからの私は、リハビリに励み、
信じられない速さで、みるみる回復していきました。 
1週間もすると、リハビリ室でも、もうこれ以上やることはないとい言われ、
散歩をしたりしながら、思いつくまま自分でリハビリをするようになりました。
その時、私に起こった最大の変化は、
「笑う」ことでした。

娘が笑わせ、私が笑う。
それだけではなかったのです。
何かがあったわけでないのに、
とにかく、「笑い」が止まらなくなったのです。

後で聞かされたことですが、娘が、お医者様に言われた事は、
とにかくお母さんを笑わせてくださいということだったそうです。
だから何とか笑わせようと、子供なりに必死だったんだと思います。
本当にありがとう。

でも、脳外科の病棟は暗い。
そんな中で笑っているとひんしゅくをかってしまいます。
それでも、堪えられない。
堪えれば堪えるほど、笑いがこみあげ笑いすぎて涙が止まらないのです。
長い間忘れていた「笑い」が、一気に噴出したような感じでした。

今から思うと、この「笑い」こそが、
病気の回復を一気に加速してくれたんだと思います。


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