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YURA表現プログラム



■第一章
 「表現との出会い」
■第二章
 「人生の役割を演じる」
■第三章
 「生死を彷徨う」
■第四章
 「パニック症」
■第五章
 「内観」
■第六章
 「未来の自分」
■第七章
 「自分らしく生きる」
■第八章
 「大いなる自己への道」
■あとがき
 「感謝を込めて」

〜YURA表現プログラム誕生物語〜
第二章 「人生の役割を演じる」

女優として「表現する」喜びを一段と深く体感できるようになった
女優生活10年目を迎えた頃、子供が出来たのです。
今でいう「出来ちゃった婚」です。
ほんのしばらく間、子育ての為に大阪に戻ることにしました。

でも、その間に結婚・離婚・母子家庭と
まったく予想もしなかった方向へと、環境が一変していったのです。

自分の為だけに生きていた女優時代から、突然「母子家庭」になり、
子供との生活を一人で支えていかなければならなくなってしまいました。
私自身、社会人としては、恥ずかしい位未熟でしたので、
この変化にどう対応すればいいのか、途方にくれていました。

でも、母子家庭となり、
なんとしても自分たちの生活を支えることが<必要>であった当時
未熟な私が選んだ道は、
何としても<有能>で<しっかりした>ビジネスマンになることだったのです。

そうして、いつの間にか、
<素直な自分>をありのままに表現することを怖れるようになっていきました。

会社にも世間にも、自分の弱さや未熟さは決してばれないようにしよう、
何かあったとき「母子家庭だから」と後ろ指刺されないように厳しく育てようと心に決め、
「しっかりした母親」「しっかりした上司」を演じ始めました。

それは、 「こうありたい自分」ではなく、「こうあらねばならない自分」として、
すべての人・すべての出来事と向き合い生きていく事だったのです。

当時はそれが正しいと思っていたし、
それこそが子供や部下の為だと、信じきっていました。

でも仕事に会社に頑張れば頑張るほど、一方で子供との時間を失っていき、
気が付いた時には、子供との関係を見失ってしまいました。
役割をしっかりと演じれば演じるほど、歯車が狂いだしたのです。

まず一番狂いだしたのが予想もしなかった親子関係の崩壊。
「子供のアトピーと喘息」  「子供のいじめ問題」  「子供の不登校」
「子供の親への激しい反抗」  「子供の家出」  「エスカレートしていくやんちゃ」

また、会社では
「会社で自己表現がうまく出来ず、孤立」  「鉄のような上司」
「いつも明るく元気だけど、何を考えているか分からない上司」
「特別扱いされていることへの周囲からの中傷」  「プライドを傷つけられると怒りまくる」
「自分の弱さを見せれない」  「つっぱっていて、誰にも相談しない」
「甘えんぼうがばれないように、いつも強気」

そうしているうち、
コミュニケーション苦手意識がピークになり、
「表現」することからどんどん逃避していきました。

そして、後の章で紹介する生死を彷徨う病気。
もちろんその間の恋など。

次から次へと、これでもかこれでもかと、いつも問題が一杯でした。
そんな時は、決まって自分の事しか見えていません。

もがけばもがくほど、悩めば悩むほど、
次から次へと問題がやってくるのでした。

どうすれば誤解をなくし自分のことをわかってもらえるのか、
どうすれば、親子関係や人間関係がうまくいくのか・・・。

心の中で、いつも模索していました。

たくさんの本を読んでは感動し、人の話を聞いては魂を震わせ、
毎回今度こそ!と思うのですが、
その瞬間の「気付き」はあっても、すべて頭で理解しようとしていたので、
自分の中から、湧き出る答えは見つけられませんでした。

それでも少しは、何とか成長していたと思います。
でも、やはり元々の性格は、なかなか変えることが出来ず、
自分の想いを伝えようとしたら失敗してしまい、
関係がうまくいかなくなれば、自分の方から関係を抹消していました。

そんなある日、会社から独立採算制を求められ、
すべて自分でやらなければならなくなりました。

それなら自分が自信を持ってできる事をしたいと思い、
「俳優学校」を立ち上げました。

感性を取り戻すため、東京に通い直し、
俳優学校の経営者兼講師としての生活が始まりました。

そして2003年12月末、脳出血で倒れました。  

俳優学校を経営し、生徒を教え育てる中で、
いつも忙しく走り回っていました。

でも、いつもイライラしていました。
自分一人で、何もかもやっていると思っていたのです。

生徒に相談してくれと言われても、耳をかさず、
なのに自分では勝手に孤独だと思っていました。

長い間、「有能」で「しっかりした」ビジネスマンを演じていたので、
いつの間にか、本当の自分が何なのかさえ分からなくなっていました。

どんなに社交的に振舞っていても、
本音の部分では、人を受け入れていなかったのでしょう。
すごくつっぱっていて、弱音をはけなくなっていました。

今思えば、自信がなかったんだと思います。

自分の経営能力にも、指導能力にも。そして人間的魅力にも。

そして、気付いた時には、
笑うことを忘れていました。


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